さて、前回は、フレットバイオリンを使った「2時間で曲が弾けるようになる初心者レッスン」のカリキュラムを作って、講師をやったよ、という内容でした。

今回は、具体的にカリキュラムの作成手順についての話です。せっかくの機会なので、専門である認知工学の知見も取り入れつつ、それなりに練ってデザインしたので、自分の思考過程のメモを残しておきます。

lesson-concept.gif


最初に大枠の方針を定めました。

エルデ楽器の理念は、「アマチュアのバイオリン弾きを応援します!」というものです。そこで、初心者~中級者~上級者が、あくまでアマチュアのバイオリン弾きとして目指すゴールを仮設しました。上図の「上級者」ゾーンで3つに分かれている部分がそのゴールです。レッスンをきっかけにバイオリンを始めた人が、最終的に辿りつきたいゴールは、この3タイプに集約されると考えています。 ちなみに、「技術の習得」ではなくて、「バイオリン生活」をゴールにしている点に特徴があると思っています。技術的な弾き方だけじゃなくて、その技術を使って音楽生活に踏み出すサポートをカリキュラムに含むわけです。

さて、カリキュラムの全体方針については別のエントリでもう少し語るとして、このエントリでは、上図の左の「初心者」へのレッスン内容に焦点を当てて解説します。

「初心者」であるあなたは、エルデ楽器のレッスンに参加すると、「え? これだけでバイオリン弾けんの?」という感想をもつでしょう。なぜなら、このレッスンには、一般的な初心者用テキストに書かれているような基礎知識や基礎練習が全く出てこないからです。そう、このレッスンは、曲を弾くために必要な最小限の情報と手指の訓練時間だけで構成されています。あなたは2時間のレッスンの間に、弦を押さえ弓で音を出すことだけに集中して、一直線に曲を弾く体験をつかんでください。

この「一直線」の方針には、大きな理由があります。

それは、モチベーション・コントロールです。バイオリン弾きが、「だめだ、つまんね、やーめた」となるのは、実はあるタイミングに集中しています。バイオリンを始めてみようかな♪ と思い立って楽器を弾いてみたときです。まぁ、わかりやすい話ですよね。3日坊主という言葉が示すとおり、何事も初めの一歩が最も不安定でドロップアウトしやすいもんです。ダイエットでもランニングでもそうじゃないですか、「始めてはみたけどさー、3日でやる気なくしたわ」となる例を挙げれば枚挙に暇がありません。ここを乗り切って定常状態にのせるためには、モチベーションをコントロールする工夫が必要なのです。

モチベーション・コントロールについては、簡単な方法が知られています。「やる気を引き出すには、その人に技量につりあった難易度の課題を与える」というものです。言い方を変えると、人は難しすぎたり簡単すぎる課題が与えられると「やる気をなくす」のです。これはちょっちアカデミックに言うと「フロー理論」に基づいた考え方です。

フロー理論基礎.gif

フロー理論は、もともとスポーツ選手の育成法に使われていましたが、ゲームのデザインなどにも応用されています。例えば、モンハンで最初に出てくるモンスターは大した反撃能力もない草食竜です。それを倒して狩の基本を覚えると、次のミッションには、もっと手強いモンスターが待ち構えています。このモンスターが強すぎれば「無理ゲーすぎて、つまんね」となりますし、弱すぎれば「ただの作業じゃん、つまんね」となります。プレイヤの技量に合わせてゲームの難易度を上げていくことでモチベーションを維持しつつ、ゲームをより難しく、より達成感を得られるように高度化していきます。

そこでバイオリンの話に戻りますが、この楽器は、おそろしく敷居が高いシロモノです。他の楽器――例えば、リコーダ――は、息を吹き込めば誰でも音を出せるし、どれかの孔を指でふさげば、決まった音程がでます。しかしバイオリンは、右手で弓で弦を擦って音を出すこと自体が難しく、さらに左手の指で弦を押さえて音程を作るのですが、このときの正しい指の位置がものすごくシビアで、かつ学習するのがとんでもなく難しいのです。モンハンの例でいえば、コントロールも覚束ない最初のミッションに最強のボスキャラであるアルバトリオンが出てくるようなものです。勝てるわけねー。要するに、全く音楽になりません。それでも、この無理ゲー状態をコツコツと続けて技量を磨いていけば、いつの日か、うまく弾ける日が来るかもしれません。しかし、普通の感性の人であれば、全く音楽にならない練習をコツコツつづけるモチベーションが続きません。幼少の頃からそういう「おけいこ」だと教えられれば出来るでしょうが、大人になれば、世の中にはバイオリン以外にも楽しいことが山ほどあるので、忍耐の限界を超えればさっさとバイオリンを片付けて次の趣味を探すでしょう。当たり前だ。

そんな状態の初心者に、最初にバイオリンを教えるにはどうすればよいか。2つのアプローチが考えられます。ひとつは、プレイヤーの技量に下駄をはかせて底上げすること。もうひとつは、ミッションの難易度を下げること。そうすればフロー理論が示す「モチベーションを育てる適切な範囲」に近づきます。下に図を再掲します。一目瞭然ですね。


フロー理論.gif

では、技量を底上げするためにどうするか。

ここに登場するのが、「フレットバイオリン」です。これを使えば、「辛い練習」を省略して初心者レベルを飛び越え、いきなりメロディを奏でる「楽しさ」を体験することができます(詳細な楽器と効果の説明は別エントリーに譲ります)。私の好きな例えで言えば、フレットバイオリンは自転車の補助輪のような役割を果たします。何度も転んで痛い思いをしながら練習しなくても、補助輪を付ければ、サイクリングする「楽しさ」を先取りできるのです。この「楽しさの先取り」こそ、フレットバイオリンが初心者にもたらす 最大の恩恵でしょう。楽しければ楽器練習を続けられるのですから。

次に、ミッションの難易度を下げるにはどうするか。

ただ音を出すだけでも難しいのに、曲を弾くというミッションを課しているので、何としても難易度を下げる必要があります。簡単な曲を選ぶのは言うまでもありませんが、その他の工夫として、レッスン参加者の認知リソースを管理しています。認知リソースとは、何かに注意を集中したり、物事を記憶したりといった知的作業で使われる、脳という名のCPUのメモリのようなものです。初めてバイオリンを弾くときは、覚えることがたくさんあり、注意すべき事柄もたくさんあるため、脳のメモリがオーバーフローしがちです。そこで、「バイオリンで曲を弾く」というミッションを、できるだけ小さなタスクに分割します。その上で、ひとつのタスクを練習している最中に、別のタスクを挟まず、その習得のためだけに認知リソースを振り分けるようにします。例えば、左手の指で弦を押さえる練習をしているのであれば、右手で弓を持つ技術についてはひとことも触れません。レッスン参加者には、全ての注意を左手だけに集中してもらい、ある程度習得したら次は右手という具合にミッションを細分化して順番に進めていきます。この考え方でレッスン時の指示を削りに削って、究極までシンプルにすることで、なんとかかんとか曲を弾くというまとまったミッションを達成させることができるわけです。

こんな風に、フレットバイオリンの特性を活かして、初心者には「一直線に曲を弾く」レッスンを組み立てたのでした。とりあえず初心者レッスンの話はおしまい!